網走・知床 流氷旅行 




なぜか突然、流氷を見に行きたいと思った。
3月に入り、東京あたりはもう春風が吹く季節になっていたが、今年は冬が寒かった影響で、流氷はまだまだ当分見ることができるとの情報を得た。すぐに実家に電話し、やはり流氷を見たことがないという両親をいっしょに連れて行くことにした。この手の旅行はたいていパッケージツアーの方が安あがりなので、いろいろ探してみたのだが、どういうわけかいずれも人数が集まらないとの理由でツアーじたいがキャンセルになっていた。流氷って意外と人気がないらしい。しかしとにかくぐずぐずしていると流氷がなくなってしまうかも知れないので、半日かけてあれこれ調べて自分で旅程を組んだ。



3月6日、11時50分発のJASで女満別に向けて出発。ところが女満別あたりの天候がどうも思わしくない。飛行機は女満別空港の上空で30分ほど待機した後、いったん着陸を試みたが、いままさに着地というところまで地面に迫っておいて再び上昇を始めた。地面はあっという間に白いガスの中に見えなくなってしまった。機長の機内放送が入り、悪天候のため女満別着陸を諦め、帯広に飛ぶことになったことを乗客に伝えた。さらに飛ぶこと30分。ようやく帯広空港に着いたときには午後の2時半をまわっていた。帯広は雲ひとつなく爽やかに晴れわたっていた。



帯広から網走へは航空会社が仕立ててくれたバスで行くことになった。網走まで4時間はかかると聞いて、乗客の中には声を荒立てて不平を言う者もいたが、なにしろ冬のサイハテのこと、バスであれ目的地まで行けるだけでもありがたいと思わなければならない。とにかくバスに乗り込むほかなかった。
帯広はこの時期、ただ雪の平野が広がっているばかりで、これといって目を楽しませてくれるような景色でもない。バスはそこだけ乾いている車道を一路網走に向けてひた走った。3時間も走ったころからようよう日が暮れ暗くなってきた。それと同時に小雪が空を舞い始めた。このころから寒い土地がめずらしいわたしたちにとって、わくわくするドライブになってきた。
雪は、最初のうちは降るというのでもなく、ただ風に乗ってどこからか舞いおりてきたというようなよわよわしいものだったが、日が暮れるにつれてだんだんに大きさも量も増した。路面を時折すばやく這うようにして横切っていた雪煙もしだいにその数を増した。関東と違って、ここでは雪が細かく乾いているので、風に飛ばされて煙のように舞い上がるのだ。暗くなるころには、道はうっすらと全体に白いものに覆われ、雪煙はバスのサーチライトに照らされて、それは何匹もの白いゴーストが右に左に、あるいはぐるぐる旋回したりして、地面の低いところを駆け回っているようだった。
父が、窓から外を見たいのか、ティッシュをとりだしてしきりに窓の水滴を拭いていた。ところが外はとっくに氷点下。窓の水滴も氷と化している。おかげで父の席の窓にはちぎれて凍りついたティッシュの白い破片がいくつもくっつく結果となった。それをとろうとしてさらにこするので、ますますティッシュが凍りついた。

 

この日は網走湖荘という網走湖畔の温泉に宿をとった。ちょうどバスの通る国道沿いにあったので、親切なバスの運転手さんはその前でバスを止めてわれわれを降ろしてくれた。たまたま同じ宿に泊まる予定の、年のころはわたしの両親と同じくらいの夫婦1組とわたしたちと、5人がそこでバスを降りた。時刻はすでに7時近くなっており、あたりは暗かったが、一面雪なので、足元は暗くなかった。
降りたての雪を踏みしめて網走湖畔を少し歩いたところにその宿はあった。みちみち話をしたところによると、いっしょに降りた夫婦のご主人は仕事をリタイアしてから暇をもてあまし、「これが最後になるだろうから」を決まり文句に、時期を空かさず次から次に旅行に出たがるので、妻としてはそのたびに付き合わされるのでもういいかげんにして欲しいと思っているとのことだった。なんでも、つい昨日富山にカニ三昧に行って帰ってきたばかりなのに、今日明日は流氷を見に網走、帰ったら今度はすぐに伊豆の網代に暖まりに行くことになっているのだそうだ。わたしの両親となんだか似ていると思った。
網走湖荘の部屋はなかなか良かった。広々としており、大きな窓からは網走湖が一望できた。夜だったので、部屋の明かりを消して、窓を開け、雪明りに浮かび上がる音のしない網走湖をしばらくのあいだ眺めた。
風呂もなかなか良かった。温度の違う3つの大きな風呂に加えて、サウナと、手の届くところに雪が積もっている露天風呂があった。


 

3月7日、朝一番の砕氷船に乗った。風がなく、それほど寒いとは感じなかったが、港内の海面は薄氷に覆われていた。港内にも流氷が入り込んでいた。流氷は、中国とロシアの国境を流れるアムール川から注ぎ込む淡水が凍ったものだそうだ。淡水は軽いため、オホーツク海は塩度の異なる水の2層構造になっている。アムール川に端を発した氷は成長しながらオホーツク海を埋め尽くし、次第に南下して、毎年1月初旬頃に知床半島に到達するというわけだ。風や潮の加減で接岸したり離れたりするようだが、わたしたちが行った日は、2、3日前には離れていたのが天気が変わってちょうど戻ってきたところだったらしい。女満別空港に着けなかったのは少々めんどうだったが、その悪天候のおかげで無事流氷を見ることができたのだから感謝しなければならない。
港をでると、流氷はすっかり海面を覆っていた。海上から見ただけでは氷の厚みはわからないが、砕氷船に砕かれると傾いて断面が海面から現れるのでどのくらい厚いものだったかがわかる。たいてい50cmくらいだが、ものによっては1m以上あるものもあった。沖へ出るともっとすごかった。船から見ると四方八方水平線まで見渡す限りの流氷原で、水平線まで歩いていけそうで、奇妙な感じだ。網走の砕氷船は『おーろら号』といって、強いエンジンと自船の重みで氷を割るシステムとのことだが、なるほど砕氷船というだけあって、行く手を阻む流氷を容赦なくそれは割進んでいった。ひびひとつない白い雪の平板に砕氷船の先がぶちあたると、そこからとたんに八方に割れ目が伸び、プレートがいくつもの氷片に分断されるのだ。分断された氷片は船に踏みつけられて次々と海面から立ち上がる。プレートが大きいと船から手を伸ばしてその切っ先に触れることもできた。この様子は船の甲板から間近にみることができ、けっこうな迫力だった。氷は、ところどころ光が透けて、実に神秘的で魅惑的な青い光を放っていて、はっとする。水はどうして青いんだろう。遠すぎてオジロかオオワシかは見分けがつかなかったが、流氷の上から魚を狙うワシを見ることができた。このところトドも流氷といっしょに流れて来ていたそうだが、残念ながらめぐり会うことはできなかった。砕氷船でのクルーズは約1時間。見るものといえば流氷しかないが、案外おもしろかった。


 

午後はバスで国定公園めぐりをした。わたしたちの3人の他、わずかに2名の観光客とともに、能取美岬、オホーツク流氷館、網走監獄、トーフツ湖をめぐった。なにしろ観光客が少ないので、雪に覆われた白い能取美岬にも人がほとんどいなかった。眼下にはやはり白く輝く流氷原がかなたまで広がっており、南国の青海原を見慣れたわたしにとってはなんとも異様な光景だった。流氷原の半ばに氷に閉じ込められた巡視船「ゆうばり」がとまっているのが見えた。巡視にでかけて流氷につかまってしまうなんて、なさけない巡視船だ。砕氷巡視船「そうや」が救助に向かっているが、釧路からはるばる稚内経由で来るため、到着までに1〜2日はかかるとのこと。その間乗組員は船のなかにカンヅメだ。船はすぐそこにあり、氷の上を歩いていけそうにみえるので、遭難しているというのがなんだか不思議だった。彼らにはきのどくだったが、せっかくなので岬の上から遭難中の船の記念写真を撮らせていただいた。なお、流氷の場合、船が氷に押しつぶされるという心配はないとのことだった。


 

流氷ときくと、浜に押し上げられた家ほどもある流氷が互いに押し合ってギウギウきしむ音をたてる、というのを思い浮かべる。是非そのギウギウを聞いてみたかったのだが、土地の人の話によると、このところの地球温暖化のためか流氷は年々少なくなっており、来たとしても昔のように家ほど大きいのはさっぱり来なくなってしまったのだそうだ。押し寄せる流氷が浜に積みあがって丘のようになる様子もほとんど見られなくなってしまったと言っていた。2020年までにはもう北海道で流氷を見ることもなくなるだろうといわれているそうだ。

  

この日はウトロまで移動し、知床グランドホテルに泊まった。海に面したホテルで、ホテル8階にある展望風呂は海側が前面ガラス窓になっていて、湯船から流氷の海が見渡せる。流氷と温泉の旅気分を味わうにはもってこいのセッティングだ。さらに屋上には露天風呂があり、知床の氷点下(−14度)の風が気持ちよい。湯船につかっていながら、眉や睫毛が凍った。写真でみる、眉毛に霜をたたえて温泉につかる日本ザルを彷彿とさせて愉快だった。
最終日3月8日は斜里博物館に立ち寄ってから、海岸線を走る列車ノロッコ号に乗って流氷の海を眺めながら網走へ戻った。土地の人の話によると、3月も遅くなって流氷が溶け、海面が現れるようになったときが、流氷の最も美しいときなのだそうだ。流氷たちが例の神秘的な青色を放って海を流れていく様はさぞかし美しいだろう。
網走では、昼食に寿司を食べ、網走水族館に行ってアザラシにエサをやった。
帰りは無事女満別から飛ぶことができた。