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ブラジル旅行

いくつかの偶然が重なって、急遽ブラジル旅行が実現してしまいました。そのときの簡単な旅行記です。

予備知識

一応の予備知識を少しばかり。

ブラジルの歴史

もちろん、最初の入植者は8000年もの前のアジア系民族です。しかし、これらの移住は「様々な時期に様々な経路を通って段階的に渡来した人々の末裔であると考えられている」ので、けっして一様な(アジアの)民族ではないようです。北米大陸では東北アジア人の顔つきが多く、南米の一部には東南アジア人の顔つきに近い部族も存在しているようです。

そして、歴史に登場してくるのは1500年ポルトガル人の来航ですね。一応公式見解としては、ペドロ・A・カブラルの率いる船団によってということになっています。この時のブラジル発見が偶然だったか、予定の行動だったかは色々議論がありそうですが、ヴァスコ・ダ・ガマがわずか4艘でインドの現在にカルカッタにたどり着いた際、地元の領主に冷たくあしらわれたのに怒ったポルトガル王(マヌエル王)が13艘の船団を組織させたのがペドロ・A・カブラルの率いる船団だということを考えると、偶然と考えるのが妥当のようです。いずれにしろその後は、ポルトガルの植民地が続きます。

すでに、1565年には「サンパウロ」が建設されたので、サンパウロ自体は相当古い町と言うことになります。当時、赤色の染料として「ブラジルの木」が有用だことがわかり、これをマヌエル王は独占したが、一方、アジアの香辛料には比べるもなく、王室は有力な商人に高額な権利金で開発権を与えて、ブラジルの木を商品化していた。つまり、ポルトガル王室の目はアジアに向いていたようです。

その後、ジョアン三世が王位に就いたときにはブラジルについて本腰を入れるようになり色々調査をするのですが、アステカのような「黄金」は発見されず、がっかりしたジョアン三世は12人の貴族に分けて統治させるようにしました。

最初の頃はあまり目を向けられなかったブラジルのようですが、サトウキビの栽培が順調に発展していき、それに目を付けたオランダがブラジル歩行東部を占領しました(24年間線量が続く)。

オランダが占領していた時期に、本国のポルトガル自体がスペイン・ハプスブルグ家の統治下になったりもしましたが、その後ブラガンサ公ジョアン四世ポルトガル王に即位して、結局ポルトガルの植民地としてブラジルは存続していくことになります。

サトウキビ栽培に黒人奴隷が導入されたり、1727年にミナス・ジェライスで金発見されたり、1750年にはコーヒーがブラジルに導入されたりと、ブラジルも色々変遷していきますが、大きく変わるのは、ナポレオンの登場です。

このナポレオンの登場のあたりを少し詳しく見てみますと、スペイン王朝から独立したポルトガルのブラガンサ王朝はイギリスの支援で、政治的独立を保っていたわけですが、ナポレオンがヨーロッパに覇権を打ち立てたときにイギリスだけが対立していました。そこでナポレオンがヨーロッパ諸国に対して、イギリスの船の寄港の禁止を要求しました。しかし、ポルトガルは態度を保留します。つまり、イギリスに味方するとナポレオンに征服されてしまうかもしれませんし、ナポレオンに味方すると、ブラジルをイギリスに占領されてしまうかもしれません(当時、すでにスペインの無敵艦隊もイギリスに負けており、イギリスが海外の植民地の雄となっていたからです)。ナポレオンはそんなポルトガルの態度に激怒し、結局ポルトガル侵攻に踏み切ります。すると、なななんと、ポルトガル王朝は36艘の船に王侯貴族と主要な官僚計1万5千人を乗せてブラジルに逃亡をはかります。1808年1月21日にサルバドールに着き、2月8日にはリオ・デジャネイロに上陸して、ここを首都と定めます。

ここに、ブラジルが植民地であった時代が終焉します。この辺が他の南アメリカのスペイン領とは大きな違いになってきます。その後、ナポレオンの敗走後、王朝は故国ポルトガルに戻りますが、1822年には在ブラジルのポルトガル皇太子が独立を宣言し、1889年の軍事クーデターにより帝政が打倒されるまで続きます。そして、その後ブラジル連邦共和国時代が続くことになります。1934年、1946年、1978年と何度も新憲法を公布されたりして混乱が続きますが、1978年に軍事政権が倒れて、今に至っています。2007年現在、大統領は労働組合活動家出身のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領です。

もう1つ、ブラジルの近年で大きかったのは、86年2月のクルザードプランから94年6月末のレアルプランの発足日までの8年4か月の間に4回のデノミが行われるほどの大きなインフレが起こり、なななんと2兆7500億分の一に自国通貨を切り下げられました。こんな笑い話があるそうです。「レストランで食事をしているお客さんに,給仕係のボーイさんがお客様早く食べて下さい。ゆっくりしているとお値段が上がりますから」です。しかし、ブラジル在住の叔母から聞いた話では、給料をもらったらすぐに、1ヶ月分の買い物をしてしまったそうです。そうしないと、買える物が目減りしてしまったからだそうで、前述の小咄もあり得そうな気もします。

いずれにしろ、2007年現在のブラジルは、そのような悪夢のような状況から脱したようで、サンパウロを見る限りでは、好景気に沸いているように感じました。

by 知久和郎