Title: カンボジア旅行

1 カンボジアには多少の思い入れ

 カンボジアはかれこれ20年近く前にこんな文も書いたりしていたので、多少の思い入れもあった。昔左翼、今保守、てな具合に、今の僕には過去の垢みたいなものかもしれないけれど、それなりにこだわっているのだろう。

 確か大学に入った頃ちょうどポル・ポトがプノンペンから追い出されたというのも何かの縁かもしれない。

 それはそうとカンボジアに行けるようになる日が来るとは思ってもいなかったな。あとはアフガニスタンかな。僕が大学で1年休学してインドに行ったときはちょうどソ連がアフガニスタン侵攻で、残念ながら行けなかった。少々年上の人たちから行ったときの話を聞いたりして、「早く解決しないかな、そうすれば行けるのにな」なんて思っていたけど、結局行けるような状況にならず、その20数年後にはアメリカによって空爆される状況になっているとは、本当、未来はわからんもんだ。

 さて、自分なりにカンボジアの歴史の復習。

2 カンボジア ミニ知識(歴史)

3 初日

 相変わらず、11時37分の南町田発の東急田園都市線に乗れば、横浜発の成田エックスプレスに乗れるという計画で、家を出たのが11時30分頃。駅に着く前に汗が噴き出てきた(つまりギリギリってこと)。何はともあれ、その後は順調で夫婦2人でビールを飲みながら成田に着いた。

 飛行機も順調に飛んで、予定より少し早くバンコックに着いた。夕飯は機内食ということだったが、ホテルに着いてから、最上階のタイ料理屋に赴き、シンハービールを飲みながら、おいしいタイ料理を食べた。

 それにしても、バンコックは僕が来た頃とはだいぶ変わってしまっている。そりゃそうか、もう最後に来てから18年にもなるのだから。

4 2日目

 今日は長い一日だった。朝6時に起こされ、8時の飛行機で、カンボジアのシェムリアップに約1時間のフライトで着いた。着いたら、鈴木さんという現地スタッフの方が待っていて、このままホテルには行かず、遺跡を3カ所訪れ、その後昼食を済ませてから、ホテルに行くということであった。お客が全員で4人、現地のスタッフが鈴木さんと研修中の日本人と、それからカンボジア人のスタッフと運転手の4人であった。乗っているのが55人乗りのバスだから。採算合うのかね?イラク戦争と、何よりもSarsのせいで、そういえば、成田空港も乗った飛行機もガラガラだった。旅行業界は大打撃のようで、少々気の毒であった。

4.1 検問所

検問所  外国人が遺跡に行くためには、検問所を通らなければならない。この検問所ではしっかりお金を払ってあるかどうかのチェックをしているわけだが(遺跡修復等にあてられるそうだ)、顔写真を貼った証明書を発行してもらい、この検問所や実際の遺跡でそれをチェックされる。といっても、そんなに厳重にチェックされるわけではないが、一応顔などは確認していたようだ。右の図はその検問所の写真。


4.2 カンボジアで見る最初の遺跡、バンテアイ・クディ

バンテアイ・クディ  確か、ジャヤバルマン7世が僧侶のために作ったという、遺跡。このジャヤバルマン7世はそれまでの王様がヒンズー教だったにもかかわらず、母親が大乗仏教だったこもあり、大乗仏教に帰依した。したがって、単なる仏教遺跡でもない、ヒンズー教の伝統もふまえた、面白い建築様式が見られる。狛犬がいるのは、どういう文化圏と考えたらよいのだろうか?そういえば、この狛犬は後ろ足がたっていたが、時代が変わると座っているのもいるらしい。


4.3 タ・プロム

タ・プロム  1186年の壮健当時は 仏教僧院だったそうだが、その後ヒンズー教の寺院に改宗されたらしい。ここはなんといっても、スポアンの木。何にも使えない、用なしの木らしいが、遺跡に食い込んで、乾期にはその遺跡の砂岩から水分を吸収しているらしい。成長が早いせいか(それとも成長の遅い縄文杉と比べているせいか)遺跡があるころからずっと生きているような気がするが、実際には遺跡が人間に放棄されてからずっとあとに根付いたもので、最古の木で樹齢350年程度らしい。それにしてもでかい木。


4.4 タケウ

タケオ急な階段  ここはヒンズー教の遺跡らしいが、途中でジャヤヴァルマン五世という王様が死んだので、建築が放棄されて完成していないらしい。したがって、まったく彫刻なども施されていない。ただ高〜くそびえたもので、急な階段を上ったら足が痛くなった(階段というとたぶん誤解される。むしろはしごに近い勾配で、手を使わないと怖い)。


4.5 昼食

ホテルからの眺望  タケウの見学後、カンボジア料理のレストランに行ったが、ここの料理がうまかった。一応ココナッツカレーがメインディッシュらしかったが、それ以外の焼きそばや焼きめし、空芯菜/円菜の炒め物も秀逸だった。頼んだアンコールビールも現地で造っているものの割には、しっかり飲めるビールでもあった。

 昼食後プリンセス・アンコール・ホテルに到着し、しばしの休憩。右の写真はホテルの窓から見えるプール(水着を持ってくればよかった)。


4.6 とうとう、アンコールワット

アンコール・ワット/お堀の前から  午後は一番有名なアンコールワット。お堀(沐浴のためらしいが)にかかっている橋を渡って、門をくぐるといよいよだ。

 アンコールワットというと、なんとなく、仏教寺院だという誤解があるようで、江戸時代にこのカンボジアに来た人も勘違いしていたらしい。しかし、実際にはヒンズー寺院。

 アンコール・ワットに限らず、デバター(女神像)が多く見られるが、これらは実際の女官をモデルにしていたらしい。だからみんな表情やら格好が違う。明後日に行く予定のバンテアイ・スレイのデバターに小説家のマルローは魅せられ、盗掘して国外に持ち出そうとして、逮捕された。そのときの小説が「王道」(知らなかった、読んだのに)。これらのデバターは東洋のモナリザなどと言われている。 アンコール・ワット/デバター

アンコール・ワット/乳海攪拌  アンコール・ワットのすごいのは「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などの見事なレリーフで、右の写真は大きな亀の上にヴィシュヌ神が乗っている姿はヒンドゥー教の天地創世神話の「乳海攪拌」。以前は多少インドの神話なども勉強したのになあ、すっかり忘れてしまっている(やれやれ)。


アンコール・ワット/朝日1アンコール・ワット/朝日2アンコール・ワット/朝日3この写真は翌日朝の5時にたたき起こされて見に行った朝日の中のアンコールワット。春分の日と秋分の日は真ん中の塔から朝日が昇るそうだが、現在は5月なのでだいぶ左の方から太陽が昇っている(右から順に夜が明けてきている)。


5 3日目,ベン・メリアまで長い旅

地雷  約三分の一は舗装されている道なのだが,残りの3分の2は未舗装道路。まだ乾期の終わりなので,ましだったが,これが雨期だと四輪駆動の車じゃないと無理そうな道だ。そんな道を2時間少々乗って,やっとこさベン・メリアにたどり着いた。この辺はまだ地雷の撤去が完了していないので、こんな看板がある!

5.1 ベン・メリア

ベン・メリア2 命がけのトカゲ  ベン・メリアは東のアンコールワットと言われており,実際作った王様は同じスーリヤ・バリマン2世で,様式なども全く同じ(細部は違うようだが)。ただ,発見されたまま状態にあるので,相当の部分が壊れてしまっており,反対に幻想的な風景になっている。ここは,余談だが,まだまだ地雷の撤去作業が完了していないので,ガイドの鈴木さんの後ろしか通ってはいけない,とさんざん注意されたのに、思わず頭の赤いトカゲ(たぶん木登りトカゲの1種)を見つけて、必死に近づいて撮ろうとしたとき、ハッと我に返った。いやあ、沖縄で蝶を追っかけて、ふと森の中に踏み入って突然「ハブ」のことを思いだした時と同じくらい怖かった。

 しかし、これを見て「インディー・ジョーンズ」を思い出すのは僕だけじゃないと思う。


5.2 ロリュオス遺跡群にまた2時間以上かけて戻る

 シェム・リアップの近くにあるロリュオス遺跡群に2時間以上かけて戻る。ここの3つの遺跡(ロレイ・プリアコー・バコン)に行ったが,アンコール遺跡の中では一番古い方のものらしい。次の3つの遺跡は西暦800年代の建築らしい。日本では空海が活躍している頃なわけだ。

5.2.1 ロレイ

ロレイ  確かに古い感じがする。


5.2.2 プリア・コー

プリア・コー1 プリア・コー2  聖なる牛という名の寺院。ヒンズー教では牛が聖なる動物とされているが、それはシヴァ神の乗り物だからで、聖牛ナンディン像が3体ある。どことなく、愛嬌があるように見える。


5.2.3 バコン

バコン  このバコンは伽藍周囲に環濠を巡らせた最初のピラミッドだそうで、なかなか他に比べてあまり大きくないけど、結構きれいな寺院。

6 4日目

6.1 クバル・スピアン

クバル・スピアンの生き物1クバル・スピアンの生き物2クバル・スピアンの生き物3  ベン・メリアほど遠くはないが(というより道がまし)、やはり車で2時間ほど走り、さらに、そこから歩いて30分ほど軽いハイキングをするとクバル・スピアンに着く。今回の旅行は遺跡巡りなので、自然観察をほとんどしていないが、ここは山と言うこともあって結構虫やらは虫類、両生類などがたくさんいた。カメラが安物のデジタルカメラなので、ほとんど撮れなかったが、楽しめた。

蟻塚にはえるカビ それにしても、右の写真は蟻塚にはえているキノコなんだけど、蟻が養殖しているのか、どうなんでしょうね?

クバル・スピアンの滝

最近盗掘された無惨な姿 シェムリアップ川の源流に当たるここクバル・スピアンは水が豊富。川底や川岸に神々の彫刻群がたくさんあり、なかなかおもしろい。しかし最近盗掘された遺跡もあり、貧富の差などを考えると一概に非難できないが、なんだか痛々しい。


6.2 バンテアン・スレイ

バンテアン・スレイ 有名なデバター  クバル・スピアンからの帰り、バンテアン・スレイに到着。バンテアン・スレイとは「女の砦」という意味で、小振りで赤色砂岩とラテライト、煉瓦も使われており、全体的に赤っぽい色なので、そのような名前が付いたそうだ。

 長い間、大きな木々の中に埋もれていたせいか、ほかに比べて保存が良く、先述のマルローが盗んだというデバターなど、非常にきれいな形で残っている。はっきりはわかっていないらしいが、右にあるデバターがマルローが盗んだものらしい?!


6.3 アンコール・トム

南大門  アンコール・トムという寺院があるのではなく、アンコール・トムとは(意味は大きな町)高さ8mのラテライトの城壁に囲まれた、要塞都市。アンコール・ワットは寺院の名前なので、なんだかごちゃごちゃしてくる。

 確かこの門は南大門って言っていたように思うけど、5つある門のうちの1つ。

 また、アンコール・トムの中心にある、やはり、ジャヤヴァルマン7世が作った、バイヨンというもと仏教寺院。後に、ヒンズー教に変わったので、目などを作り替えたらしいが(もとは半眼)、それでもこの顔が至るところにあるのは壮観。

有名なお顔


7 5日目(カンボジア最終日)

7.1 トンレ・サップ湖

トンレ・サップ湖トンレ・サップ湖のアンテナ  最終日の今日は、朝からトンレ・サップ湖に行くことになった。ここは世界で19番目(大きさが雨期と乾期で3倍以上も違うのでどちらで言っているのかは不明)の大きな湖。雨季と乾季で大きさが変わるのだが、雨期の雨で大きさが変わるのではなく、ヒマラヤの雪解け水で大きさが変わるそうだ。通常こういう水上生活者というのは貧困層と相場は決まっているような気がするが、ここは違うらしい。右にもあるように、テレビを見ている人たちもいる(電気はバッテリーらしい)。

たらいに乗った子  学校も水の上なら、当然学校に行くのも船、と思いきや、たらいの子もいた。これが「ひょいひょい」櫂を使って進むのはすごかった。というか感動した。


7.2 最後の遺跡4つ、プリヤ・カーン、ニャック・ポワン、タ・ソム、東メボン

プリヤ・カーン

7.2.1 プリヤ・カーン

 一番繁栄を誇ったジャヤヴァルマン七世の父の菩提寺として作ったものらしい。写真の建築物は非常に珍しいもので、2層構造になっている。


7.2.2 ニャック・ポワン

ニャック・ポワン  現在で言う病院らしい。といっても治療は、病を癒す伝説の湖「アナヴァターブタ」を模したと言われているように、水を飲んだ癒したそうだ。


7.2.3 タ・ソム

タ・ソム  ここもジャヤヴァルマン七世が作った僧院。写真は髪の毛を持って微笑みかけているデバター。


7.2.4 東メボン

東メボン 東バライ(貯水池)中心部、大池の中央に浮かぶように建設されたもので、ヒンズー寺院。カンボジアは雨季と乾季がはっきりしてお入り、いかに治水を行うかが非常に大事であったのかがわかる。


8 とうとう、タイへ、空港のカナヘビ

カナヘビ  空港に行ったとき、暇なんでコーヒーを飲んでいたら、足下にカナヘビがいた。さようなら。


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